韓国・ソウルの梨泰院でハロウィーンの賑わいで起こった将棋倒しの転倒事故で、冨川芽生さんが亡くなったことが判明しました。
冨川芽生さんのFacebookやインスタを調査。韓国に行った理由や、父親との最後のやり取りとなったLINEの画像を見ていきます。
【韓国ハロウィーン事故】冨川芽生(めい)さんのフェイスブック
政府関係者の証言で、10月29日、韓国・ソウルの繁華街梨泰院で154人が死亡した転倒事故で、で日本人2人が死亡したことが分かりました。外務省に届いた連絡では、亡くなったのは10代と20代の女性2人だということでした。
その後、亡くなった日本人女性2人のうち、20代女性というのが、北海道根室市出身の26歳の女性であると判明しました。韓国ソウルの繁華街のイテウォン(梨泰院)で、ハロウィーンを前に大勢の若ものでにぎわっていました。
当時、ハロウィーンを前に若者たちは仮装などをして狭い路地に密集していて、大勢の人が坂の上の方から次々と折り重なるように倒れていったということです。
そして、この事故で亡くなった日本人女性2人のうち、20代の女性は、北海道根室市出身の冨川芽生さんと分かりました。
- 名前:冨川芽生(とみかわ めい)さん
- 年齢:26歳
- 職業:留学中
- 出身:北海道根室市
亡くなってしまった女性は、根室市出身の冨川芽生さんだと判明しました。
亡くなってしまった冨川芽生さんとはどんな方なのか?と、facebookを調査しました。Facebookの検索窓に漢字で「冨川芽生」と入力して検索。
すると、
このように、1件のアカウントがヒット。
ヒットした1件のアカウントを開いてみると、このアカウントには、亡くなった冨川芽生さんを特定できる情報が複数ありました。
こちらが、冨川芽生さんのフェイスブックアカウントです。
そして、冨川芽生さんを特定できる情報というのが、自己紹介欄にありました。
「韓国留学2022年6月〜🇰🇷👩🏻🎓/アクセサリーデザイナー/カフェ/旅行/歌/K-POP🕊🍀✨
出身校: 札幌ブライダル&ホテル観光専門学校
Seoul, Korea在住」
とあります。これだけでも、北海道出身の韓国ソウルに在住の冨川真紀さん。
さらに、このアカウントの最終投稿についたコメントに、
「ご冥福をお祈り申し上げます。未来に日韓の架け橋もなりそうな人材だったのに亡くなったのが早すぎではないんでしょうか。安らかにお眠りください。」
というコメントが複数記載されていました。
さらに、このfacebookにあった画像は、
さきほどの報道された画像の女性と、同じ顔の女性だとわかります。ということで、このfacebookアカウントが冨川芽生さんのアカウントであると特定できました。
韓国転倒事故で犠牲となった冨川芽生さんのインスタ
しかし、よく見ると報道の写真には「Facebookより」ではなく「インスタグラムより」となっています。ということは、冨川芽生さんはFacebookだけでなく、インスタも利用されていたことになります。
なので、インスタグラムも調査しました。
漢字で「冨川芽生」と入力して検索すると、
このように、同じ漢字では2件がヒットしました。
しかし、そのどちらもが、投稿がないか、非公開となっていて確認することができませんでした。
しかし、フェイスブックの自己紹介欄に記載のあったURLからあるインスタアカウントを発見。
そのアカウントはジュエリーなどの販売サイトとして使ってるようで、そこには、亡くなった冨川芽生さんの画像がありました。
しかし、このアカウントにある冨川芽生さんの画像はこの1枚だけ。報道にあった画像はありませんでした。もしかすると、このInstagramのアカウントでモデルをしてた可能性もあります。
しかし、ということは、このインスタアカウント以外に冨川芽生さんの志写真画像のあるアカウントが存在するということで、冨川芽生さんのアカウント調査を継続します。
韓国転倒事故犠牲者の冨川芽生さんと父親のLINE
韓国ソウルの繁華街・梨泰院(イテウォン)で起きた将棋倒しの事故で、犠牲になった冨川芽生さんは、北海道根室市出身で、今年6月からソウルに留学中だったことがわかりました。
冨川芽生さんの父親は、娘に、「電話しても電話に出なかったんです。ずっと鳴らしたら、警察官が出たんですよ。現場で拾ったという感じで、スマホ。」と。
冨川芽生さんの父親は、韓国に留学した娘とLINEでやり取りしていました。
冨川芽生さん:「うん伝統の食べものたくさんあった! もちの博物館でもち作った~」
父親:「中華とか和食と似てるけどちょっと違うね。色んな国の友達出来たね」
冨川芽生さん:「うん インサドンっていう地域で食べたビビンバ美味しかったよ!! きょうは同じクラスのフランス人と会う」
このLINEでのやり取りが、父親との最後のやり取りとなったといいます。その後は、電話しても冨川芽生さんが電話に出ることはありませんでした。
父親は、「(30日午後)5時過ぎに、「指紋が一致」したと連絡があった。」と話しています。
31日朝、芽生さんの家族は韓国に向かいました。父親は、「早く娘に会いたいです。最後まで大丈夫だと思っていたが、前日も友達と遊びに行くという話しか聞いていなかったから、まさかこんなことになるとは思っていませんでした」と。
冨川芽生さんは、家族に「将来は、韓国と日本をつなぐ仕事をしたい」と話していたということです。しかし、富川芽生さんの夢はかなわぬ夢となってしまいました。父親の「明るくてかわいい子でしたよ」のコメントが悲しすぎます。
ご冥福をお祈りいたします。
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