3歳児の河本千奈ちゃんがバスに置き去りにされ亡くなった事件で、牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」の増田立義理事長兼園長らが記者会見しました。
増田立義園長が自身の幼稚園園児が亡くなった会見で笑うという異常行動を調査。「疲れちゃった」の発言はデマという噂についてもチェックしてゆきます。
増田立義理事長兼園長の会見
5日午後、静岡県牧之原市の川崎幼稚園の送迎用の幼稚園バスの中で、女の子が倒れているのが見つかり、川崎幼稚園の園児で3歳児の河本千奈ちゃんが熱中症(熱射病)でなくなってしまいました。
この事件に対し、川崎幼稚園は7日午前に保護者説明会と午後に記者会見を実施しています。午前中の説明会では、河本千奈ちゃんの父親の話の途中で、過呼吸で救急車で緊急搬送される人が続出して1時間で中断してしまいました。
そして迎えた午後の記者会見で、増田立義園長は謝罪の言葉を発しました。しかし、その後は亡くなった河本千奈ちゃんの名前を呼び間違えるなどし、言い訳じみた発言に終始しています。
その記者会見というのがこちら。
この会見を聞いて憤った人が多かったと言います。
それはなぜかというと、まずは、亡くなった河本千奈ちゃんの名前を「チナツちゃん」と呼び間違えていたこと。亡くなった河本千奈ちゃんやご両親に対して、あまりに失礼です。
そして、報道陣から「声が聞き取りにくい」という指摘に対して、増田立義理事長は「この頃、睡眠不足で声が枯れてて、年齢も年齢ですから、ちょっとガラガラ声になってしまってるのが現状です」と回答。
さらに、人材不足の指摘には、「人を雇うってことは、非常に大変なことで、今の時代でなかなかいないんですよね。探すのも大変な思いをして、やっと見つけてくるんですね。よければ皆様方に紹介して欲しいくらい」と、まるで事件のあった記者会見とは思えないジョークとも取れる発言。
さらに、集まってる報道記者から電話対応について問われると、「苦情の電話が、こういうことがあって、職員も参っているところなんですね。(電話が)入ってきてしょうがないというのが現状なんですね」と言い、表情が一気に不満な顔になっていました。
「ですから、電話ということは困る。自分自身が、職員が困っている」「今でもかかってくるんですよ。夜中でもかかってくるんですね。それが現状なんです」と記者たちに訴えるように話していました。
増田立義理事長兼園長が会見中に薄ら笑い
この増田立義園長の記者会見の終盤のあいさつで、「皆様方のご協力でいい園を、また僕がいなくなったら、さらに良くなるように…」と言い、この記者会見に同席していた川崎幼稚園側の弁護士に、たしなめられるシーンも。
その弁護士は、「園を続けるかは決まっていません」と指摘。そう言われた増田立義園長は、「あっ、そうか、廃園になるかもしれないよね」というとうっすら笑い顔になるというシーンが見受けられました。
これがその画像。
このシーンを見た人たちからはすぐに批判の声が上がっています。
「川崎幼稚園会見、高齢だし不慣れだしヘラヘラしちゃうし、、、」
「会見で園長が亡くなってしまった女の子の名前間違えてたのがほんとに腹立った。」
「他人事のように会見してる増田立義園長はなぜ逮捕されないの??」
「増田立義 理事長 記者会見 少し観たけど なんなんだこいつ⁉️ 他人事か?
高齢者だから 許されると思ってんのか 副園長の女性もなんなの?
一族経営か? 逮捕して下さい 早急に こんなの許しちゃいけない」
川崎幼稚園増田立義園長の経歴と顔画像「70代で痴呆はあった」3歳児バス置き去り・静岡県牧之原市
副園長の「疲れちゃったぁ」はデマ
そして、増田立義園長の会見シーンのほかに、もう一つのシーンで炎上騒ぎとなっていました。
そのシーンというのが、副園長が会見が始まってから2時間余りたったころ、亡くなった河本千奈ちゃんの人柄についての質問がなされ、「お家で歌っていたのは何の歌か」などと聞かれた時のことでした。
副園長は隣に座っていた担任の方を向いて、耳打ちするような小さい声で話をしたのですが、これを報道陣のマイクが拾っていました。この時副園長が「疲れちゃったぁ~」「疲れた」といったように聞こえたため、SNSで炎上騒ぎとなってしまいました。
しかし、これは聞き間違いで、副園長が隣の担任に対し「何の歌?」と聞き、担任は「おつかいありさん」と答え、副園長が「おつかいありさん?」と確認した声だったのです。
上の動画では、2時間14分当たりの質疑応答のシーンです。
SNSで投稿された方はすでに投稿を削除し、お詫び文面を投稿されています。ということで、副園長の「疲れちゃったぁ~」という発言があったという情報は、デマであったといいことになりました。
増田立義園長の生い立ちと性格
増田立義理事長兼園長の生い立ちについてみてみましょう。
川崎幼稚園のホームページには、増田立義園長の略歴としてこれらが載っていました。
「園長略歴
昭和24年生まれ
昭和43年 榛原高校卒
昭和47年 専修大学経営学部卒
平成11年 浪速短期大学通信教育学部保育科卒」
この学歴を見て思うのが、増田立義園長は専修大学を卒業していますが、50歳のころ通信境域で保育科を卒業しています。こののち、園を引き継いでいます。
増田立義理事長兼園長のことを増田立義園長の知人がこう話しています。
「園長になると聞いた時は、『あいつが園長? 大丈夫なのか?』と思いました。昔からの知人はみんな心配していましたね。あいつの父親は、幼稚園の他にもお茶の工場を経営する金持ちで、いわば立義(増田立義園長)はボンボン。子供の頃からズボラな性格だった」というのです。
そして文春が増田立義園長ののことについて「事故を聞いたとき、率直なところ『やってしまったな』と思いました。立義(増田園長)の父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。一方の立義はボンボン気質。性格は親父とは正反対で、芯が全くない。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格だから、子供の頃は『ええからげん八兵衛』と呼ばれていました」と知人からの話として報じています。
ということで、増田立義園長はいいところのお坊ちゃんとして育ったずぼらな性格であるということが判明しています。
コメント